教皇フランシスコと映像回線を通じて学生が対話する「教皇フランシスコと話そう」を開催しました
- 学院・大学の取組み
2017年12月18日(月)、映像回線を通じて、本学ほか学校法人上智学院が運営する学校の学生・生徒と教皇フランシスコが対話する「教皇フランシスコと話そう」が行われ、700人を超える学生・生徒、教職員が参加しました。また、当日はYou Tube Liveによるインターネット中継も行われました。
教皇フランシスコは、本学の設立母体であるカトリック・イエズス会出身の初の教皇です。本イベントはイエズス会の教育機関である本学ならではの企画として実現しました。母国アルゼンチンの神学校時代に、当時神学院の院長であった教皇から直接薫陶を受けた神学部のホアン・アイダル教授が、教皇と交渉した結果、今年5月に教皇から内諾をいただき本企画の実現に至りました。
冒頭、曄道佳明学長は、「学校法人上智学院ならびにその他のカトリック大学、高校等カトリック精神を共有する人々が一堂に会し、同じ時間、空間の中でフランシスコ教皇の話を聴くことのできる経験は大変意義深く、『他者のために、他者とともに』という精神を含む教皇のメッセージを、いろいろな人につなげていただきたい」と語りました。
教皇にスペイン語で質問した外国語学部イスパニア語学科4年の小早川麻美さんは、「環境と貧困の問題は切っても切り離せないものだということがよくわかった。自分中心のエゴイズムではいけない。先進国に所属する一員として、経済中心から少し離れて、周りを見ることからはじめたいと思う」と話しました。
「日本・バチカン市国国交樹立75周年記念事業」の作文コンクールで最優秀作品賞を受賞し、本イベント終了後バチカンに向けて出発した六甲学院高等学校2年の石井麟太郎さんは、「世界を代表するような方なので、厳しい人だと思っていたが、厳かな中にも気さくなところがあり、とても話しやすかった。バチカンで教皇様とまた会えるかもしれないが、”袖振り合うも多生の縁”ということわざを持ち出して、世界中のどんな人たちともわかり合える、という話をしてみたい」と語りました。
学生との対話の後、来場者全員で聖歌「あめのみつかいの」と、前日の12月17日に81歳の誕生日を迎えた教皇を祝して、スペイン語による”Happy Birthday”の2曲を唱和して大盛況のうちに終会となりました。
「教皇と話そう」の動画はこちらで視聴いただけます(本学公式YouTubeチャンネルにリンク)
学生・生徒たちの質問と教皇の対話
■吉田南菜子さん(神学部神学科3年)
「教皇に選ばれてから一番嬉しかったことは何ですか?」
教皇:「嬉しいことというのは一つのことではない。多くの喜び、それは人々と挨拶し、語り合い、子どもたち、お年寄り、病にある人々と接すること、それらが大きな喜びとなる。人々と接すると私自身が若返るような気分となり、それが嬉しさの源となっている」
■豊田充さん(理工学研究科博士後期課程2年)
「現代ではグローバルな世界の中で生き残り、成功するために教育が重要だと言われていますが、教皇からみて、大学における勉強の一番大切な目的は何でしょうか?」
教皇:「今の競争社会における”危険”というのはビジネス社会だけでなく教育にも及んでいる。出世や成功だけを追い求める教育は、人を成長させるどころか小さくしてしまう。協調のとれた教育こそが人を成長させる。それには、頭(知性)の言葉、心(感情)の言葉、手(作業する)の言葉、これら3つの言葉を調和させることが必要だ。さらに教育には”他者に奉仕する”という視点がなければならない。あなたたちの大学も他者に奉仕する精神を有しているので、それはとても豊かなことだ」
■斉藤怜奈さん(理工学部機能創造理工学科3年)
「現代の若者に対する一番大きな希望と懸念は何でしょう?」
教皇:「若者は常に先に進む力を持っているが、昨今そのスピードに加速が付きすぎていることを懸念している。急ぐために記憶や自分のルーツを失っていることが大きな心配だ。ここで言うルーツとは、文化、歴史、家族、人間としてのルーツのことだ。黒澤明の映画に『八月の狂詩曲』がある。この映画のメッセージは若者と老人の対話で、孫が最後にルーツを見つけるという内容だ。ぜひ観て欲しいと思う。ルーツがないということは、自分の支えがないのと同じことだ。ルーツを見つけるには高齢者と話をしてもらいたい。彼らはルーツを持っているからだ。また、若者はじっとしていてはだめだ。常に動き回り、ルーツをしっかり持ち、将来を見据えながら挑戦していってほしい」
■チョウ・トゥ・アンさん(地球環境学研究科博士前期課程1年、ミャンマーからの留学生)
「今の世界にとって、宗教の重要性はどこにありますか?」
教皇:「その質問はおそらくあなたの国(ミャンマー)の宗教的ルーツから来ているのだろう。ミャンマーには、仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教等がある非常に宗教的な国だ。宗教というのは、何か”劇”のようなところで創られたものではなく、元々は人の心の中にあり、自分自身の考えから発展したものだ。その中から絶対的なもの、すなわち神を見出し、苦悩、熱意、必要性など心の中にあるものを昇華したものなので、”存在を超越したもの”ということができる。あらゆる宗教は人を成長させるが、それは”他者に奉仕する”ものでなければ宗教的とは言えない。何か見返りを求めるとすればそれは偽善である。原理主義というのは宗教の教義に基づいたものではなく、社会・政治的目的の小さなグループによるもので、テロ行為の原因となる。真の宗教とは自分自身を限界へと成長させるもので、決して害を与えるものではない。もし害を与えるとすればそれは偽善である」
■小早川麻美さん(外国語学部イスパニア語学科4年)
「回勅『ラウダート・シ』には、この世界における様々な問題は、すべてが複雑に絡み合って関係しているとありますが、貧困の削減と環境保全を同時に達成するには、具体的に何が必要でしょうか?」
教皇:「今、人類は、環境保全に真剣に取組むのか、さもなくば滅亡するのかという厳しい選択を迫られている。南太平洋の島国が20年後には温暖化で沈むというリスクを抱えたり、夏場に北極ルートの航行が可能になったりする事実には驚くばかりだ。環境問題の要因は、経済や金融至上主義に因るもので、環境バランスを考えずに開発をし続けることが問題だ。私の国アルゼンチンでは、効率を追い求めて同じ作物を作ることによって、土地が疲弊し、農民は都会で職を求め、結果貧困化する。このような経済至上主義は戦争にもつながる。人は土地と対話しながら作物を育てなければならない。『ラウダート・シ』には、環境だけでなく社会問題についても触れている。環境と社会は切り離せないものだ」
■吉良道子さん(上智大学短期大学部2年)
「教皇に対し良い印象を持つ人は多くいるが、教皇ご自身の自己イメージは何ですか?」
教皇:「その質問は、今後あなたが学ぶ社会学というよりも、美容や化粧に関することかもしれない。鏡というのは自分の像を写すものだが、人はそのうち鏡と対話をはじめ、ナルシシズムに陥ることもある。そして自分の評価や正当化を行うが、それは鏡による評価であって、自分に偽りを言うかもしれない。私は鏡を見ないようにしている。しかし1日に1、2度は自分の中で起きたことを見つめ、自分の下した判断を振り返り、虚栄に陥らないようにしている。そして自分自身のイメージは”神に愛されている一人の罪人”であり、その思いが自分を幸せにしている」
■佐藤航貴さん(栄光学園高等学校2年)
「2018年に予定されている『難民・移民の世界大会』のための教皇メッセージの中で、『難民もそれを受け入れる共同体の成長も大切である』と述べているが、難民との共存についてはどのようにお考えでしょうか?」
教皇:「難民問題は、ある国連職員が第二次大戦以来の人類の最大の悲劇と言ったが、移民・難民の歴史は人類の歴史と同じぐらい長いものだ。人類とはそもそも移民であり、ヨーロッパ人も何世紀にも渡る移民の積み重ねから成り立っている。移民・難民は、戦争や飢餓から逃れてきた人々であり、これは受け入れなければならない。そして、教育、仕事を与え、社会に溶け込むようにすべきである。難民を一つの地域に集めるのは一体化とは言えない。そうした孤立化はテロにつながる可能性がある。移民・難民受け入れの手本となるのは、過去に50年間受け入れてきたスウェーデンだ。イタリア、ギリシャも難民を受け入れ、助けようとしている。皆さんが移民・難民の問題を掘り下げて勉強することを期待する」
■石井麟太郎さん(六甲学院高等学校2年、本イベント後バチカンへ出発)
「日本についてどんなイメージを持っていますか?来日の予定はありますか?」
教皇:「バチカンへようこそ! 以前、1週間日本に滞在したことがある。日本に対するイメージは、理想、深い能力、宗教心を持ち、勤勉で、過去に多くの苦しみを経験した国民というものだ。心配しているのは、過度の競争社会、絶え間ない消費、そういったものが国の力を失わせるのではないかということ。だが、賞賛すべき国で尊敬している。公式な招待も受けており、訪問したいと思うが、他に行くべきところが多く、いつになるかはわからない。今回のような対話というのはとても気に入っている。皆、いろいろなことを考えてほしい。それによって素晴らしい将来を見出せるだろう」