雇用関係と社会的不平等に関する研究
総合人間科学部社会学科 今井 順 教授
- 研究
【研究の概要】
この研究の目的は、日本社会における不平等の構造とその再生産メカニズムを、「産業的シティズンシップ」の概念を用いて説明することです。日本の不平等構造を説明するには欧米でよくつかわれる「階級」だけでは無理で、雇用形態・企業規模・ジェンダーといった地位の変数が重要です。この研究は、こうした特徴ある不平等の形成と再生産の背後に、日本社会特有の産業的シティズンシップが存在すると主張します。この概念はT.H.マーシャル(1950)の提示したもので、労働者と使用者・国家の相互行為から近代社会に特有の雇用関係が形成され、結果特定の雇用形態にある労働者と使用者の間に権利・義務の規範からなる社会関係、すなわち社会的地位が構築されることに注目します。日本社会におけるそれは企業別シティズンシップとでも呼ぶべきもので、それぞれの企業における正規雇用の地位が、年功賃金や企業福祉への権利と、企業の要求する様々なフレキシビリティ(柔軟な残業や配転・転勤)に応える義務とで成立しています。ここ数十年の労働市場改革では、政労使の認識枠組みや行動がこのシティズンシップの規範に囚われてしまっていることで、非正規カテゴリーを拡大し、同一労働同一賃金理念を有名無実化し、平等と多様性を目指すはずの限定正社員の形成を、正規雇用労働者の階層化にしてしまっていると主張しています。
産業的シティズンシップとは、平たく言えば、雇用を中心とする産業社会で私たちが当たり前に持っている平等と公平の認識・感覚のことです。日本社会で作られてきたこの感覚は、企業に貢献する一人前の労働者であろうとするなら、すなわち年功賃金や終身雇用、企業福祉の権利に値する労働者であろうとするなら、配転・ローテーションの要請にこたえることのみならず、残業の要請や引っ越しを伴うような転勤にも応じることが当然、と考えるものです。この権利と義務の規範を共有する者が正社員の地位にふさわしいのであり、同じ地位の感覚を共有する者同士が長期にわたる競争を行うのが、正社員のキャリアなのです。このシティズンシップの感覚は、この規範を共有しない者を下位におくこと、同じ権利に値しないと考えることを正当化します。現在私たちの社会の正規・非正規格差を「是正する」と考えられている法律は、この感覚を批判的に捉え損なった上で作られています。皮肉なことに、この不平等と排除を正当化してしまっているのです。たとえば、ほとんど同じ仕事をしている非正社員の給料が低いのは「組織に対する責任を負っていないからだ」(=正社員である自分は転勤や残業の可能性を常に負っている)という言説を、現在の法は追認しているのです。これは、以前からあった正規・非正規格差を、これまで存在した平等・公正の観念に基づき法制化、正当化しただけで、格差・排除の是正効果がほとんどないことを示しています。
【将来の発展性】
この研究の中から生まれたのが拙著『雇用関係と社会的不平等―産業的シティズンシップの形成・展開としての構造変動』(有斐閣)です。この中で私は、今後は企業の求める通りに異動できるという能力が、被雇用労働者を階層化する基準になると指摘しました。様々な企業で進められている「正社員の多様化」は、まさにそのような論理で「正社員を階層化」しているようです。今後は、この論理を止めるような動きがどこから出てくるのか、注視しています。